船

 
 
 
 
「やつの船、見に行こうぜ。」
エイジがそう言った。
寒くなりそうな秋の夕暮れのこと。

エイジの友達のサトシはヨットを手に入れた。
食べる物も削って、いわゆる額に汗して働いて。
カッコイイ。
サトシはそのヨットでオーストラリアに行くんだって言ってた。

本牧の第三埠頭のドックにサトシのヨットがある。
あたしとエイジは差し入れにお菓子や飲み物を買って、本牧に着いた。
陸に上げられてペイント中のヨットは、ちょっぴりだけ情けなく見えた。
でも、カッコイイ。

みんな夢を追いかけてる。
19、20の頃は、なんでもできるって思ってる。
その中の一体何人がここまで漕ぎ着ける事、できるのかな?

船に取り付けられたタラップを上がる。
ギシギシギシ。
手すり代わりのロープが揺れる。
「よ!来たぜ。」
エイジが声をかける。
「おじゃましま〜す。」
あたしも後に続く。
「おお!久し振りじゃん。」
サトシが光る眼鏡越しに微笑む。
「いるかな〜って思ってさ。電話無いから連絡取れね〜しな。」
「おぅ、そうなんだよな。不便なんだけど、ま、仕方ね〜な。」
サトシは全財産を船につぎ込んでるから、部屋を借りていられなくて、今はこの船に住んでる。

「いらっしゃい....」
静かな声がして、美香子さんが出てきた。
サトシの恋人。
ちょっと年上で、イイトコのお嬢さんで、ピアニスト。
あたしは美香子さんの前に出ると、なんだかドギマギしてしまう。
同じ女なのにね〜。
全然違ってて。
あたしは男の子みたいに話す。
男の子と同じコトしたがる。
美香子さんはちゃ〜んと女で、女の領域にいる。
いつかあたしも大人になったら、こんな女になれるのかな?

エイジとサトシは友達のことなんか、あれこれ話してる。
サトシは船に住み始めてから、ほとんど誰とも会っていないらしい。
「ユウスケはさぁ、結局あのままあそこで働くらしいぜ。」
「そっか、合ってたのかもな、あいつには。」
サトシは絶対に人の事悪く言わない。
エイジは....子供みたいで直情だから、時々かなり辛辣になる。
あたしは、そんなエイジが好きなんだけど。

「わ、良い匂い〜。」
船のギャレーからカレーの匂いがしてきた。
「あ、食ってけば?いっぱい作ってるみたいだし。」
「あたし、見せてもらってくるね。」
あたしは立ち上がってギャレーに行った。
「あ、歌子ちゃん。」
ちょっと驚いたように美香子さんが顔を上げた。
「えへへ、良い匂いだから見に来ちゃいました〜。カレー?」
「うんうん。私、あんまり来て上げられないから、こういうもの、いっぱい作っておいてあげるのよ。
でないと、彼、しっかりした食事してくれないし。」
「いいなぁ....愛ですねぇ....えへへ」
そう言いながら、食いしん坊のあたしはカレーの味見をさせてもらった。

うっ.....これ......
そのカレーにはほとんど塩味がついてなかった。
何と言ったら良いのか....あたしは困った。
「塩味つけないんですか?」
もしかして忘れてるのかも、そう思って聞いてみた。
「そうなの、お野菜の自然の味がして、美味しいでしょう?カレーも市販のルウじゃなくって、いろんな香辛料を自分でブレンドしてるの。」
そういうものなのかぁ.....
なんとなく、あたしは納得した。
でも、これ食べろって言われたら、ちょっと辛いかも.....

キャビンに戻ると、別の匂いが.....
「へへ、歌子、おまえもする??」
わお!ポットの匂いだ!!
「わーい!いいの?」
細く巻いた歪なタバコが回ってきた。
久し振り。
吸い口を濡らさないように、唇を巻いて。
ちょっと吸い込んで、息を止める。
胸の中がぐっと膨らんで詰まる感じ。
あ、これ、いいわ.....
吐き出しながら勿体無くって、少しずつ吸い戻す。
こういうものに関しては、けち臭くいかないとね。
何時の間にかお香が焚かれて、キャビンの中にパチャウリの甘い香りが漂い始めてる。
足にじりじりと痺れるような感覚が生まれる。
おでこの辺りがぐ〜〜〜んと広がっちゃった感じ。
ちょっと手足が重くなって、着たままだったジャケットを脱ぐ。
「うわ〜、久々〜。良い感じ〜。」
「へへへへ、良い時来たよね〜。」
「嗅ぎつけたよな〜、いつもあるわけじゃないのに。」
「うへへへへ。人徳ってやつぅ??」
「あはははは、おまえに人徳有るわけぇ?」
みんな、幸せそうに笑ってる。
なんの話ししても可笑しい。
「そう言やさぁ、エイジの次ぎのライブ、いつぅ?」
サトシが聞いた。
「あーーー、それがな、無いんだよ、予定。あはは」
「そーなんだぁ。あはは〜、で?何で??」
「んーーーー、なんかなぁ、しっくりいかね〜んだよな〜。みんな馬鹿〜、俺も馬鹿〜。あはは」
「じゃんじゃんライブやって欲しいんだけどね〜、あたしなんかはさぁ。へへへへへぇ。」
「ああ、やりて〜、俺、ギター弾きて〜よ、思いっきり。」
サトシは夢を実現しかかってる。
エイジも夢を追っかけてる。
あたしの夢は......

「で?おまえは?これからど〜すんだ?」
エイジがサトシに聞いた。
「うん。ここでの整備が終わったら、取りあえずは伊豆に移すんだ。」
「うんうん。海の上を行くわけ?」
「そうだ。やっと....だよな〜。あはははは」
「うん、すげ〜なぁ.....」
「そこでもう一回ドックに入って、それから俺とこいつに取っての処女航海は神津島までだ。」
「わぁ!いつ頃なの?それ??」
「んーー、来年の早ければ春。遅くとも秋くらいかな?。」
「いよいよなんだねぇ....本当に。すごいよね。へへへへ」
みんなの顔がキラキラ輝いて見える。
 

「ところで、みんな、カレー食べる?」
美香子さんが声をかける。
「あーーー、食べる食べる。」
私はちょっと口篭もって.....
「あ、あたしはぁ、あんまりお腹空いてないんで〜、少しで良いです〜。へへへぇ」
さっきの味見の時の味を思い出して、あたしは遠慮した。
美香子さんがそれぞれのお皿にカレーをよそって持ってきてくれる。
あたしのは小鉢みたいなボウルに入ってる。
あたしは立ってお水を運ぶのを手伝う。

「いっただきまーーーーす。」
恐る恐る、一口口に入れる。
うわーーーーー!これ!美味しい!!
カレーの香りが脳天直撃!
色々入った野菜の甘味が口に広がる。
香辛料一つ一つの香りが分るような気がする。
「や〜ん、美香子さん、これ、最高。美味しい〜〜〜!!」
あたしはほとんど叫んでた。
「お替り〜。良いですか〜??」
小さなボウルのあたしはスグに食べ終えちゃって、自分でお替りをよそりに行った。
「うはは、これ、ほんと、旨いっすよね〜。」
エイジもそんな事言いながら、お替りしてる。
「うんうん、お野菜がこんなに美味しいってさ、普段、全然気が付かないもんね〜。」
「そうなのよねぇ、これに慣れると塩味で誤魔化した物より、こっちの方が好きになるのよね。」
「野菜ってさぁ、一個一個全然違った味、すんだよね〜。」
「歌子、おまえさぁ、腹減って無いって言ってなかったっけ?へへへへへ」
「んーー、だって〜、これ、美味しいんだもん〜。あはははは」
なんか、みんな講釈垂れながら貪るようにカレー食べてる。
気がついたら、中型の寸胴は空っぽ。
あはははは
「あらあら、全部食べちゃったのね。」
美香子さんが呆れ顔で言ってる。
ご飯も空っぽ。
いっぱいなのは、あたしたちのお腹と心。

帰りの車の中で、あたしはエイジに言った。
「ねぇ、エイジ。きっと上手い具合に転がるよね。あたしたちもサトシも。」
「おぅ、そうだな......」
エイジは前を向いたまま、にっこり笑って答えてくれた。